『 ちゃめろん 生まれ・育ち・現在までのストーリー 』

1.生家の環境とスピリチュアルの封印

幼少期の家庭環境は、ひいおじいさんが政治家だったこともあり、いつも周りに占い師や霊媒師がいました。おじいさんは、卦と四柱推命に詳しい人で、家族は改名しているというスピリチュアルな世界が日常生活の中にありました。幾恵(きえ)という名前も巫女系占い師さんに命名いただいたような環境の中で育ちました。


当時、スピリチュアルな世界がどれほどスゴイものか分かりませんでしたが、占い師や霊媒師もちっとも幸せそうじゃなかったのです。自分自身が幸せになれない方法なんて「なんか違う」と感じた私はその世界に触れることを封印し、遠ざけるようになりました。

2.幼少期に刷り込まれた「女の子って損」

私の母方は女系の家筋で、母自身も三姉妹であったため、父はマスオさんのようになっていました。あと継ぎの男が生まれることを待ち望んでいた中、私が長女として生まれ、3年後に弟が長男として生まれました。

私は引っ込み思案のおとなしい性格でしたが、弟は色白で可愛らしい、身体が弱く手がかかる子だったので、折に触れて「弟と逆だったらよかったのに…」といわれていました。

弟は、ようやく授かったあと継ぎとしてとても大切にされ、私との待遇の差に、子供心ながら傷つくことがたくさんありました。

例えば、私のお雛様は、ガラスケースに入った小さなものでしたが、弟の五月人形は、部屋の半分を占める段飾りに並んだ、立派なかぶとが付いた武者人形でした。
私の誕生日のプレゼントは、リカちゃん人形でなくユッコちゃん人形なのに、弟は正規品の仮面ライダーのヘルメットとベルトでした。  

その上、母は人見知りが激しい弟につきっきりで、私はひとりで遊ばされることが多かったのです。弟との扱いの違いに、「女の子って損」と考えるようになってしまったのです。

3.母の願いの変化

母は、自分がさせてもらえなかったことを、娘の私にはさせてやりたいという思いがありました。女として幸せな結婚ができるようにと、バレエやピアノなどの習い事をさせてもらいながら、同時に塾にも通っていました。

習 い事はイマイチでしたが、勉強はよくできる子だったので、母の「国立の中学校に入学させたい」という期待に背中をおされ、受験勉強をはじめました。私は、 受験のために学校を休んでまで塾で猛勉強し成績が良かったため、生意気なことを言っては、先生やまわりの大人に「女の子なのに可愛げがない」と言われるこ ともありました。

「成績が良いことと可愛げとなんの関係があるのよ!?」と苦い思いをしました。

それでも、母はいつも私を応援してくれていました。

負けず嫌いな性格だったので、私に対しても「努力を惜しまずベストを尽くすこと」を求めました。教育方針は「出た杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれない」。やるからには大きな差をつけて勝つこと。そうすれば誰からも批判されることはないはず、という考えを持っていました。
 

おかげで、私はかなり個性的なキャラに育ち、人間関係は戦うもの、勝つものだと理解していましたので、周囲との関係には苦労しました。

残念ながら、母が望んでいた有名中学校とはご縁がなく合格はできませんでした。
それ以降は、勉強については何も言わなくなり、「いいとこへ嫁いでくれたらいい」という言葉に変わっていきました。

4.花嫁学校での経験と世界観

母の希望もあり、花嫁学校として歴史のある女子高・大学へ進みました。

「女が仕事をすると生意気になるから、あなたは在学中にお見合いし、卒業と同時に結婚するのよ」と母はよく言っていたものです。

そこは、女性の幸せな結婚生活のための嗜み(たしなみ)と処世術を含む子女教育を躾けられる学校でした。

 

こ こで出逢った良家のお嬢様たちとのお付き合いによって、普通の生活では計り知れない上流家庭の常識や価値観に触れることができました。華やかにみえる一流 世界の陰にある辛さ、自由の裏にある責任を知りました。そんなしがらみのない自分は、ともすればもっと幸せなのだと気づきました。

貴重な社会勉強ができた学生時代でありましたし、の経験は世界観を広げる良い財産となっています。

5.企業勤務での経験と挫折

卒業後は、地元の電鉄会社に就職しましたが、社員5000人の中で大卒女性は8人という男社会が色濃く残る企業でした。

花嫁学校で学んだ処世術を活かして表面的には女性らしく振る舞い、しかし、デベロッパーの営業として男性と肩を並べてバリバリ働きました。それでも当時はまだ男女雇用均等法など名ばかりで、女性の評価は低く、悔しい思いをしました。

私が進めていた商談が成約の段階になったことを上司に報告したところ、まったくその商談に関係していなかった同期の男性社員を契約に出向かせ、私の努力は陰に隠されました。

 

就職して3年が過ぎた頃、勤務のローテーションが大きく変更されることになり、私に課せられた勤務日程は、とうてい受け入れられないものでした。それに抵抗し、変更を希望しましたが、当時は応援してくれる労働組合もなく、やむなく退職することにしました。

ここでも「女は損だ」という思いを強めたものでした。

6.夫との出逢いと気づき

今の主人との出逢いによって転機が訪れます。
それまでの人生で、女性としての歓びを享受できなかった私に、女性の気持ちを教えてくれた人です。夫は、「女の子をきちんと女の子として扱う」人です。その態度は誰に対しても同じです。

今まで出会った人たちの中にこういう人はいませんでした。
男の人と戦うことが多かった私には「それが当たり前」という夫の感覚に衝撃を受けたのです。「女の子だから、それはしなくていいよ」と、特別な相手かどうかは関係なく出来る人です。

私が彼にとって特別な相手になったときから、私以外の人には線引きしてくれる、とても信頼できる人です。

彼は、私に「キレイ」、「かっこいい」ではなく「可愛い」と言ってくれました。

私は、ずっとこの魔法の言葉を待ち望んでいたことに気づきました。

頼れる人に守られて、「可愛いがってもらうこと」「甘えること」を知りました。

戦わなくてもいい、男と女は役割が違う。そんなことを徐々に実感しながら、少しずつ自分が「女」であることを受け入れていけるようになりました。

7.出産・育児と母親との確執

27才のときに第一子の長女を妊娠しましたが、つわりがひどく3ヵ月寝たきりのあと出産。母の強い希望で、完全母乳にするため毎日、助産院へ通いました。

母に「あと継ぎの男の子がいない」と言われることも精神的なストレスになっていたのか、その後、2回の流産を経験しました。

母は私の出産、育児、健康管理、住居など生活全般に関与してきました。

私は自由にしたいと思う反面、母が構ってくれることを「自分はようやく大事にされている」と受け取り、母に全面的に依存していました。自分が子供時代に、「構って欲しかった」という思いを満たそうとしていたのかもしれません。

今思い起こせば、それで満たされるはずはなく、歪んだコミュニケーションだったと思います。

以前から、母との確執は心の重荷になっていました。お互いに求めすぎることが原因だったと思います。しかし、当時の私には母との関係性をコントロールする方法は見つけられませんでした。

その後、幸いにも長男、次男に恵まれ、3人の母親としての幸せを感じています。

これは、真に「女に生まれたからこそ」経験できたことです。

8.コーチングとの出逢い

育児の中、ママ友たちとの気を遣うばかりのお付き合いとそのコミュニケーションに疲れ切っていました。身近な人たちとの関係に苦労していた時期です。

 

そんな時期に偶然(今思うと必然かも‥)、コーチングに出逢いました。コミュニケーションスキルを知ることで人間関係をスムーズに、物事を楽にとらえられる手法があることを知りました。

コーチ資格を習得してからは、多くのクライアントさんと触れ合うことで、自分自身のつまずきの原因も、ハッキリ見えるようになり、生きるのがとても楽になったと感じた時期でもあります。一層のスキルアップを目指し、その時々に必要だと感じたカウンセリング手法やキネシオロジー等も学び、総合的なセッションを始めました。


その過程で、自分の気持ちがまだシフトしきれていなかったときに「みんなに好かれることは無理なんだよ」と夫に言われたことがあります。これは名言だったなと思います。このあと、気持ちを切り替えていくのがもっとスムーズに出来るようになりました。

今では母やママ友たちとも、とても良い関係を築けるようになりました。

7.闘病体験と覚醒

私は40歳の時に乳がんを患いました。

詳しい方なら驚かれると思いますが、病理検査において、同じ検体からの判定結果が変わり、治療方針が変更されるという、通常あり得ない奇跡体験をしました。

検査の1回目と2回目の間に、「自分の心を整えた」だけなのです。

このことで、心と身体の繋がりの大切さや、見えない世界のチカラというものが存在することを実感したのです。

私にとって信じ切れていなかったスピリチュアルな世界は、使い方によっては人を幸せに導けると考えました。「幸せになる、豊かになる、役に立つ」これを理論的に説明するため、科学的視点からも探求していくことにしました。
ただのあやしいスピリチュアルではなく、実証があって、腑に落ちるものとして人に伝えたいと思ったのです。

 

尊敬できるスピリチュアリズムの伝承者の方々との出逢いもあり、さらに学びを深めました。

 

この成果として、スピリチュアルを知らない人でも腑に落ちるように説明できるツールを作り上げることができました。そして、「スピリチュアルの世界と融合したセッション」を始めることにしました。

 

一方、闘病時の奇跡体験をきっかけに、実際のコーチングの臨床とを繋げ「スピリチュアルお片付け講座」を開発しました。身近な事例で奇跡の体験をしてもらうために、「見える世界と見えない世界は繋がっている」ことを「断捨離」を通じてお伝えしています。

8.オリジナルスピリチュアルワーク完成と啓発活動

2014年には、長らく構想を温めていたオリジナルスピリチュアルワーク「くるくる曼荼羅」を世に出し、シンプルで誰にでもわかりやすく体験できる「愛と癒しのワークショップ」にてお届けしています。

 

現在は、スピリチュアル3本柱で活動しています。

「くるくる曼荼羅」

「スピリチュアルお片付け講座」

「スピリチュアル個人セッション」

いずれも私の実体験を活かした実践していただきやすいツールになっています。

Ventus(ウェントゥス)は
ラテン語で「風」の意味。
あなたに新しい風を送り、
「あなたが風にのって
より良く変わっていく」
そんな思いが込められています。

 

 

 

 

なかしま

きえ

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kurukurumandara@yahoo.co.jp